一々MyLife2025

心より心へ

美馬達夫院長先生

8年も昔のことですが、現在は定年退職してDr.美馬達夫院長先生。

 記事が長いので下に一部を持ってきました。

よかったら、読んで下さいね。

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heartne2025.hateblo.jp

『そんな私が尊敬した医者は、佐久総合病院の若月俊一先生と水俣病患者のために力を尽くした原田正純先生で、特に原田先生には、初対面でご自宅に泊めていただいたことに始まり、何度も謦咳に触れることができました。原田先生は、飄々としながらも先を見据え、たとえ一人でも仕事を続けようとされた生き様でした。

 結局、私は脳外科医として歩んできましたが、基礎的研究にも従事することができた十数年があります。東大助手時代には茂野卓先生(前・関東労災病院部長)、そしてニューヨーク留学時代には三川隆先生(現・UCSF教授)、このお二人は素晴らしい上司で、大きな影響を受け、何よりも研究の喜びを教えていただきました。茂野先生から動物実験を教わり、私たちはエンドセリン発見者の柳沢正史先生とも脳血管攣縮の共同研究をし、またNGFが遅発性神経細胞壊死を防ぐことを見つけました。三川先生はニューヨークでの単なるテニス仲間の私を研究室に雇ってくださり、ウイルスによるFGF遺伝子導入のニワトリ胚(胎児)実験をしました。『でもしか医者』の私がかつて抱いていた物理学者の「夢」とリンクすることができた「幸せな時間」でした。

4年間留学し、1994年から高知医科大学脳外科で研究室も運営しましたが、教授選に負けると、実験機材や研究費があっても、いかんともしがたい状態となり研究生活を断念し、2003年に東京に戻り山王病院で臨床医になりました。その頃、旧知の篠永正道先生が「交通事故後の難治性頭痛などは低髄液圧症候群脳脊髄液減少症)が原因である」と提唱し、医学界からバッシングされ孤立無援でした。私には「目から鱗」で、脊髄からの髄液漏れを血液でふさぐブラッドパッチ治療を関東で初めて開始し、その後、慈恵医大から高橋浩一先生が加わり、山王病院はこの分野での「老舗」になりました。

 脳脊髄液減少症は、頭痛、めまい、倦怠感など多彩で不可解な症状があり、慢性疲労症候群線維筋痛症軽度外傷性脳損傷などとの関連性も示唆され、「研究者」気質の私には、とても「面白い」です。交通外傷での損保会社の非誠実な対応、裁判官の患者の窮状を直視しない態度、厚労省の役人たちの不勉強さ、等々に怒り心頭です。しかし、「研究」と「政治」が重なる、この脳脊髄液減少症は、これまでの経歴の私には「天職」だと思い、取り組んでいます。』